ごあいさつ

   救命救急センターから在宅医療まで脳神経外科を中心に幅広く診療をおこなってきました。特に手術では、脳腫瘍摘出術(悪性神経膠腫、髄膜腫、下垂体腫瘍、転移性脳腫瘍など)、くも膜下出血(破裂脳動脈瘤)と未破裂脳動脈瘤クリッピング術、脳出血に対する内視鏡下血腫除去術、三叉神経痛と顔面けいれんに対する微小血管減圧術、水頭症(特発性正常圧水頭症など)に対するシャント手術、頭部外傷(急性硬膜下出血、急性硬膜外血腫、脳挫傷など)に対する手術など、夜間緊急オペも数えきれません。巨大な脳動静脈奇形に12時間以上かけて神経脱落症状を出さず全摘出をおこなったこともある一方で、微小血管減圧術は1cm程度という小さな開頭範囲でおこない、未破裂脳動脈瘤クリッピング術は1時間台の手術時間で施行したことも、手術において常に低侵襲を心がけていました。
   低侵襲といえば頭を切らない脳の治療として、カテーテル治療も積極的におこなってきました。くも膜下出血(破裂脳動脈瘤)や未破裂脳動脈瘤に対するコイル塞栓術、超急性期脳梗塞に対する血栓溶解術と血栓回収術、難治性鼻出血に対する蝶口蓋動脈塞栓術など、上記の手術とマイクロカテーテル治療の両方に執刀医(術者)として奮闘してきました。41歳頃の脳神経外科部長時代における執刀は自分より上級医はおらず、病床数500を超える急性期総合病院に入院する難症例の手術中でも瞬時に判断をして遂行せねばならず大変苦労しました。それでもドクター単位あたり年間最多の手術件数を施行、大過なくこれたのは周りの優秀なスタッフに恵まれていたからだと思います。前々脳神経外科部長木家信夫先生(福島孝徳教授のもとに留学)の手術にはすべて第一助手として研鑽し、前脳神経外科部長左合正周先生(慶大医学部出身)からは脳神経外科全般はもとより管理職としての世間知を学び引き継ぎました。そして、どこの病院にいてもいつも遠くからどんな時でも励ましてくださる神野哲夫名誉教授は私の恩師で、医学部6年のときに友人とともに先生からフレンチに招かれ「お前ら脳外科に来い」と言われてから20数年に渡りご指導いただいています。
   病床数約1500床の病院にある救命救急センターでは、当時脳低温療法などを含め全身集中治療に寝食を忘れて従事していました。上記のような治療をおこなっても残念ながら亡くなられたり、植物状態や寝たきり状態、重い後遺症を残す場合もありました。患者さん本人の希望あるいは家族の厚意により提供された心停止後の臓器移植(腎臓、角膜提供)に携わりました。
   在宅医療では患者さん本人の不安と苦痛(癌末期、癌性疼痛、慢性疾患、難病、独居など)や家族の苦労(認知症の介護、老々介護など)を感じ、少しでも安楽にすごせることを念頭に医療をほどこしてきました。メスでは治せない苦痛から解放されて、本人や家族が満足する方法を共に考えておこない、麻薬や鎮静剤の投与から最期は家で看取るということも関わりました。
   後進の指導としては臨床研修指導医の資格を有し研修医だけでなく若手脳神経外科医の育成に微力ながら助力し、また看護専門学校の非常勤講師として脳神経外科領域の解剖と生理を担当していました。
   疾患名は同じでも症例ごとに異なり、潜在している病巣と本質を感知する、そのような医師としての心構えを大切にし、医学の進歩にほんの僅かでも貢献すべく浅学ながら症例報告もおこなってきました。
   これからはこれらの経験を活かして、わかりやすい説明と質の高い外来診療を目指し、地域の患者さんから信頼されるよう臨床一筋に邁進したいと思います。あなたの身体のことを一番知っているかかりつけ医として。今後ともスタッフ一同、どうぞよろしくお願いいたします。

院長 林 純一

院長 林 純一
 プロフィール

略歴

H2年 嵯峨野高校卒
H3年 藤田保健衛生大学医学部
H9年 藤田保健衛生大学医学部卒
H9年 藤田保健衛生大学病院脳神経外科
H10年 社会保険埼玉中央病院脳神経外科(現:独立行政法人地域医療機能推進機構埼玉メディカルセンター)
H11年 藤田保健衛生大学病院脳神経外科
H12年 藤田保健衛生大学大学院
H12年 トヨタ記念病院脳神経外科(学外研究)
H15年 藤田保健衛生大学病院救命救急センター(NCUチーフ)
H16年 トヨタ記念病院脳神経外科医長
H25年 トヨタ記念病院脳神経外科部長

資格

日本脳神経外科学会専門医(H15)
医学博士(Ph.D. H21)
臨床研修指導医(医政発第0318008号準拠 H24)
日本脳神経外科学会指導医(H25~H27)
難病指定医(H30)
身体障害者手帳指定医(肢体不自由;身体障害者福祉法第15条第1項 H30)
麻薬施用者(H30)

所属学会

日本脳神経外科学会
日本脳神経外科コングレス

業績

学会研究会

論文